須永 有 | THIS IS NOW

ARTISTS

須永 有 Aru SUNAGA

1989年
群馬県生まれ
2014年
東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業
2017年
東京芸術大学美術研究科絵画専攻修士課程 卒業

個展

2019年
「絵筆で照らす」/un petit GARAGE, 東京
2016年
「あなたの顔は、よく見える」/ un petit GARAGE, 東京
2015年
「須永有個展」/ T-Art Gallery, 東京
2013年
「PASSAGE」/ Bambinart Gallery, 東京

グループ展

2020年
神宮の杜芸術祝祭「紫幹翠葉-百年の杜のアート」/明治神宮ミュージアム
3331ART FAIR 2020 /3331アート千代田, 東京
2019年
KODAI vol.1 /CAPSULE, 東京,三宿
2019年
群馬青年ビエンナーレ2019 /群馬県立近代美術館, 群馬
2017年
本と美術の展覧会vol.1 絵と言葉のまじわりが物語のはじまり
「長嶋有と福永信のキュレーションvol.1 大★須永有展 美と微とbi☆toの原寸 大」 /太田市美術館図書館, 群馬
2016年
公益財団法人現代芸術振興財団 名和晃平セレクションCAF賞選抜展 / HOTEL ANTEROOM, 京都
2010年
「現役美大生の現代美術展 Produced by X氏」/ Kaikai Kiki Gallery、Hidari Zingaro, 東京

賞歴

群馬青年ビエンナーレ2019 入選
TERRADA ART AWARD 2014 最優秀賞
CAF ART AWARD 2014 審査員特別賞


ステートメント
私にとって、キャンバスは大きな壁、絵筆は暗い洞窟を照らす松明のようなものです。空間を切り裂くナイフのように感じることもあります。
絵を描くことが、平面に空間を作り出すことはとても不思議です。一筆のタッチや線が空間を切り裂き生まれるイリュージョン、絵画という平面に描いた嘘に、とても心惹かれています。
過去を読み返しイメージを選び、キャンバスと格闘することで、絵画は様々なものを浮き上がらせ、空間、価値を逆転させることもできます。
絵画は、人間が生き抜くための一つの手段であると思っています。

公式サイト

WORKS

影を描く

影を描く

キャンバスに油彩

1120 x 1620 mm

2019

420,000 円(税別)

松明のように絵筆を持ち、人影をなぞる様子を描きました。私たちの目は、光があるから物を確認し見ることができるのですが、光が当たれば陰影も作られます。 西洋美術の伝統的な絵画では、陰影を描くことでものの立体感を表します。影を描くこと が、光を描くことでもあるのです。
芸術は、必ずしも美しく素晴らしいものばかりを作り、表現するものではありません。 毒のように体を蝕む芸術もあります。マイナスなもの、隠されているもの、見たくないもの、生きる上で、踏みつけにしてしまっているような存在。
自分自身の醜さや狡さを、見ないわけには生きられない。 そのような影も表し、掬い取ることができるのが、芸術なのではないかと思います。 もしかしたらそれは、芸術にしかできないことなのかもしれません。 影さえも照らして露わにしみてみる。そのような私の思いを表した作品です。

展示場所: 1階 ①


泉で滝行

泉で滝行

キャンバスに油彩

727×530mm

2020

220,000 円(税別)

「修行」をテーマに、洞窟の泉の中で滝行をする絵を描きました。
絵を描くことは、人と芸術の歴史と現在の私たちの今を照らし合わせ、修行と発見を繰り返すことです。
それは生きることも同じかもしれません。
また、修行は孤独なものですが、人は一人では生きられない生き物だと思います。
時には、誰かと一緒に並んで滝に打たれます。

展示場所: 1階 ②


泉で滝行

泉で滝行

キャンバスに油彩

455×380mm

2020

Sold

「修行」をテーマに、洞窟の泉の中で滝行をする絵を描きました。
絵を描くことは、人と芸術の歴史と現在の私たちの今を照らし合わせ、修行と発見を繰り返すことです。
それは生きることも同じかもしれません。
また、修行は孤独なものですが、人は一人では生きられない生き物だと思います。
時には、誰かと一緒に並んで滝に打たれます。


泉で滝行

泉で滝行

キャンバスに油彩

530 x 455mm

2020

120,000 円(税別)

「修行」をテーマに、洞窟の泉の中で滝行をする絵を描きました。
絵を描くことは、人と芸術の歴史と現在の私たちの今を照らし合わせ、修行と発見を繰り返すことです。
それは生きることも同じかもしれません。
また、修行は孤独なものですが、人は一人では生きられない生き物だと思います。
時には、誰かと一緒に並んで滝に打たれます。

展示場所: 1階 ③


泉で滝行

泉で滝行

キャンバスに油彩

727×606mm

2020

220,000 円(税別)

「修行」をテーマに、洞窟の泉の中で滝行をする絵を描きました。
絵を描くことは、人と芸術の歴史と現在の私たちの今を照らし合わせ、修行と発見を繰り返すことです。
それは生きることも同じかもしれません。
また、修行は孤独なものですが、人は一人では生きられない生き物だと思います。
時には、誰かと一緒に並んで滝に打たれます。

展示場所: 1階 ④


絵筆で照らす

絵筆で照らす

キャンバスに油彩

910×652mm

2021

250,000 円(税別)

雪舟の慧可断臂図に影響を受けて制作した作品です。
達磨が座禅を組む洞窟とその奥の壁に、絵筆を松明のように掲げて持つ手を描きました。

絵を描いているとき、キャンバスが大きな壁のように思える時があります。
絵の具をキャンバスに付けたり取ったり、絵筆で線を引いて、重ねて消して、また線を引くという作業を繰り返していると、洞窟を掘り進めているように感じます。

現実の社会にも大きな見えない壁があり、洞窟のような窮屈さがあります。
日本人で油絵を描いていること。女性であること。
女が30歳だからって一体なんなんだろうと思うのに、社会の言う常識に怯えてもいます。

言葉で言えないことは、絵で描くしかない。
過去を読み返し、イメージを選んで、絵の具と平面と格闘すること。
それが自分自身の救いにもなっています。
私は暗い洞窟のその先を、絵筆に頼りながら、掘り進めて行こうと思います。

このような私にとっての「洞窟、壁」が、慧可断臂図に重なり、この絵を描きました。

慧可は参禅の決意として自分の左腕を差し出しましたが、
私は腕なんて切りたくないので、絵筆をぐいっと差し出します。

展示場所: 3F ⑱


絵筆で照らす

絵筆で照らす

キャンバスに油彩

530×455mm

2021

120,000 円(税別)

雪舟の慧可断臂図に影響を受けて制作した作品です。
達磨が座禅を組む洞窟とその奥の壁に、絵筆を松明のように掲げて持つ手を描きました。

絵を描いているとき、キャンバスが大きな壁のように思える時があります。
絵の具をキャンバスに付けたり取ったり、絵筆で線を引いて、重ねて消して、また線を引くという作業を繰り返していると、洞窟を掘り進めているように感じます。

現実の社会にも大きな見えない壁があり、洞窟のような窮屈さがあります。
日本人で油絵を描いていること。女性であること。
女が30歳だからって一体なんなんだろうと思うのに、社会の言う常識に怯えてもいます。

言葉で言えないことは、絵で描くしかない。
過去を読み返し、イメージを選んで、絵の具と平面と格闘すること。
それが自分自身の救いにもなっています。
私は暗い洞窟のその先を、絵筆に頼りながら、掘り進めて行こうと思います。

このような私にとっての「洞窟、壁」が、慧可断臂図に重なり、この絵を描きました。

慧可は参禅の決意として自分の左腕を差し出しましたが、
私は腕なんて切りたくないので、絵筆をぐいっと差し出します。

展示場所: 3F ⑲


絵筆で照らす

絵筆で照らす

キャンバスに油彩

455×380 mm

2021

88,000 円(税別)

雪舟の慧可断臂図に影響を受けて制作した作品です。
達磨が座禅を組む洞窟とその奥の壁に、絵筆を松明のように掲げて持つ手を描きました。

絵を描いているとき、キャンバスが大きな壁のように思える時があります。
絵の具をキャンバスに付けたり取ったり、絵筆で線を引いて、重ねて消して、また線を引くという作業を繰り返していると、洞窟を掘り進めているように感じます。

現実の社会にも大きな見えない壁があり、洞窟のような窮屈さがあります。
日本人で油絵を描いていること。女性であること。
女が30歳だからって一体なんなんだろうと思うのに、社会の言う常識に怯えてもいます。

言葉で言えないことは、絵で描くしかない。
過去を読み返し、イメージを選んで、絵の具と平面と格闘すること。
それが自分自身の救いにもなっています。
私は暗い洞窟のその先を、絵筆に頼りながら、掘り進めて行こうと思います。

このような私にとっての「洞窟、壁」が、慧可断臂図に重なり、この絵を描きました。

慧可は参禅の決意として自分の左腕を差し出しましたが、
私は腕なんて切りたくないので、絵筆をぐいっと差し出します。

展示場所: 1F ⑧


絵筆で照らす

絵筆で照らす

キャンバスに油彩

410×318mm

2021

Sold

雪舟の慧可断臂図に影響を受けて制作した作品です。
達磨が座禅を組む洞窟とその奥の壁に、絵筆を松明のように掲げて持つ手を描きました。

絵を描いているとき、キャンバスが大きな壁のように思える時があります。
絵の具をキャンバスに付けたり取ったり、絵筆で線を引いて、重ねて消して、また線を引くという作業を繰り返していると、洞窟を掘り進めているように感じます。

現実の社会にも大きな見えない壁があり、洞窟のような窮屈さがあります。
日本人で油絵を描いていること。女性であること。
女が30歳だからって一体なんなんだろうと思うのに、社会の言う常識に怯えてもいます。

言葉で言えないことは、絵で描くしかない。
過去を読み返し、イメージを選んで、絵の具と平面と格闘すること。
それが自分自身の救いにもなっています。
私は暗い洞窟のその先を、絵筆に頼りながら、掘り進めて行こうと思います。

このような私にとっての「洞窟、壁」が、慧可断臂図に重なり、この絵を描きました。

慧可は参禅の決意として自分の左腕を差し出しましたが、
私は腕なんて切りたくないので、絵筆をぐいっと差し出します。

展示場所: 2F ④

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